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また会える感覚

  • 執筆者の写真: 航 矢野
    航 矢野
  • 2025年10月4日
  • 読了時間: 3分

会いたいと思う人がいることは幸せなことだと思う。

そして、会いにいけるならなおのこと。


写真を見返していると、記憶からは抜けていた過去の瞬間が一気によみがえることがよくある。

「この人今どうしてるかな」なんて、10数年会ってない人に思いを寄せたり。きっとこの時とは環境も変わってるだろうし、社会にもまれて色々と落ち着いてたりするんだろうなと思うと、当時のその人ではないだろうから、また会いたいような会いたくないような感覚になる。



僕には「東京のばあちゃん」と「大分のばあちゃん」がいる。

母方が東京で、父方が大分というわけだ。

僕は東京に住んでるので、「東京のばあちゃん」とはよく会っていた。「会っていた」と過去形になっているのは、ばあちゃんが今年亡くなったからであるわけだけど。


地元の最寄駅がある町に、ばあちゃんが住んでいた。

僕は地元から出て別の町に住んでいるので、地元に帰ってくるとばあちゃんの家にとりあえず寄る…ということが多かったので、地元=ばあちゃんというイメージだ。


町を出ているといっても、電車で1時間もかからず帰ることができるので、「出ている」という意識も低く、2ヶ月に1回くらいのペースで地元には帰っている。


母からはよく「おばあちゃんが会いたがってるから、帰れる時に会いに行ってあげて」と言われていた。

ばあちゃんからはよく「彼女いないの?結婚は?」と言われていた。

そのような人と出会えてなかった当時は、「わたるくんの相手に会うまでは頑張らないと」なんて冗談半分に、ばあちゃんも話していたと思う。


運良くとても素敵な方と出会い、結婚しようということになったのが、同じく今年の話。

ばあちゃんに会ってもらったのが今年の7月頭。


そして、ばあちゃんは7月末に亡くなった。


ほんとうに、冗談ではなく、僕の奥さんに会うのを楽しみにしてくれていたんだと思った。

今でも奥さんとばあちゃんが2人で話をしている姿ははっきりと思い出せる。

目に焼きついている、っていうのはこういうことなんだろう。


何を話していたのか詳しくは聞かなかったけど、楽しそうな顔で話をしているばあちゃんを思い出す。


ばあちゃんが亡くなって2ヶ月くらい。

写真を見返していると、にこやかに笑っているばあちゃんがそこにいる。

地元に帰って、ばあちゃんの家の前を通ると、まだそこにいるような気がする。




ばあちゃんは元気な時毎年梅干しを漬けていた。

数年前にばあちゃんに漬け方を教わって、僕も毎年梅干しを漬けている。


その時昔の写真を見せてくれて、ばあちゃんの若い時の話を聞かせてもらった。

「若い時、服飾の学校に通ってて…〇〇で働いてたんだよ」と。

当たり前だけど、ばあちゃんにも若い時があって、青春の時があったわけだ。


その「女性」は、ばあちゃんなんだけど、僕の知らない「女性」でもあって、とても不思議な感覚だった。





ばあちゃんともう会えないと思うと寂しいし、また会いたいと思う。

写真を見返している時、梅干しをつける時、ばあちゃんを思い出す。

もう会えないけど、会える感覚はまだそこにある気がする。



僕にはまだ、子供がいないが、姉の子供をあやすばあちゃんの写真を見てると、月並みな言葉だけど

「命はめぐるんだ」と思う。

 
 
 

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